隅田川での釣りがイメージできなかった昭和の終わり

上京したての思い出です。

昭和の終わる間際、隅田川にはまだ、遊歩道は整備されていませんでした。

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断崖絶壁のカミソリ防潮壁、人を寄せ付けない隅田川

昭和の終わり、1987年頃、上京して最初に住んだのが江東区、永代橋の近くでした。

時代はバブル真っ只中。江東区や中央区月島の辺りは『ウォーターフロント』なんて呼ばれ始めて、注目の地域とされていました。

とは言っても、私といえば、バブル景気などとは一切関係無く、職場に近く家賃が安いいという理由で、《四畳半一間・風呂無し・トイレ炊事場共同》のアパート生活を始めました。

その頃、仕事帰りはよく、勤め先の築地から永代まで隅田川沿いを通って歩いて帰ったのですが、その当時の隅田川は護岸に防潮壁がそそり立っていて、川の様子を川沿いから窺う事が出来ませんでした。

釣りをするというイメージが浮かばない護岸の状態だったのです。

上京当時、「春のうららの隅田川〜」の歌のイメージとは随分違うなぁと思ったのでした。

ゴカイのエサのウキ釣りで釣れた魚はサッパなのか?

釣りをしてみようという発想が湧いてこない川沿いの景色だったのです。

しかし、東京での生活にも慣れた頃、ふと、隅田川で釣りをして見ようと思い立ちました。越中島公園の歩道沿いの壁と金網を超えて、水辺に降りて、ゴカイをエサに、浮き釣りをしてみました。

すると15センチ程の体表が銀色の魚が飽きない程度に釣れたのです。セイゴやボラ、ウグイではありませんでした。あの魚はなんだったのでしょう。

今思えば、サッパかコノシロだったような気もするのですが、サッパとコノシロは食性がプランクトン食なので、ゴカイでは釣れないと思うのです。今もって謎です。やっぱサッパかなぁ。

それでも誰も釣りなどしていないこんな場所でも魚が釣れることに感動して、別の日にルアーを投げてみました。

しかし鱸は釣れませんでした。

先入観で貴重なシーバス釣りの時代をスルーしてしまった後悔

この時まぐれ当りでもシーバスをゲット出来ていれば、その後の永代での生活も違ったものになったのになぁ〜。「やっぱりもっと海側に行かないと鱸は釣れないんだなぁ」と決めつけてしまったのです。

実際タックルを持って歩いていると、地元の人から「お兄さんルアーで何釣るの?」と言われたのでなおさら。

今なら隅田川もずっとずっと上流でもシーバスが釣れる事が分かりますが、当時はそうは思えなかったのです。

あ〜もったいない。

毎日シーバス釣りが出来る環境に住んでいたのになぁ。

それから4、5年が過ぎ、永代橋の袂にも隅田川テラスなる遊歩道のような公園のようなスペースがつくられ水辺が近い存在になりました。

しかし「この辺りはシーバスはいない」という先入観がついてしまい、その後ルアーをキャストする事はありませんでした。

重ね重ねもったいない事をしました。

約5年間隅田川の近くに暮らしていたのに、1尾もシーバスをゲットする事なく私は永代を離れる事になりました。

現在では、隅田川テラスが川沿いに長く整備され、永代橋よりずっとずっと上流まで釣れるポイントがある様です。

羨ましい。

いつかまた、四半世紀前のリベンジをしてみたいものです。

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