シーバスに初めて出会った日

カラーはパールホワイトボディーのレッドヘッド。場所は私の母なる川、宮城県多賀城市の砂押川の河口。16歳の時でした。

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初めて鱸を釣ったルアーはダイワのシーバスハンターSでした。

当時、自分の周りの釣り仲間たち、はライギョ釣りがメインで誰も鱸釣りをやろうとする者がいませんでした。いや、中学生の頃はみんなチャレンジしていたのです。

投げ竿にジェット天秤の仕掛けで。(当時のルアー釣りの入門書にはサーフからのルアー釣りはジェット天秤仕掛けか、飛ばし浮き仕掛けの先にプラグのルアーを付けるスタイルがかっこよく載っていたのです。)

仙台新港で岸壁投げ釣りをしながら、その置き竿の横でジェット天秤仕掛けのルアーをドボーンドボーンと何度もキャストするワケですから、今考えると周りのサンデー釣り師の皆さんはさぞ迷惑だった事でしょう。

そんなタックルで5時間も6時間もキャスト・アンド・リトリーブは続けられませんので、案の定、鱸の釣果は誰も得られずライギョ釣りに戻って行きました。

しかしこの頃から3、4年の間に、鱸のルアー釣りがグッと進化していたらしいのです。

鱸は西山徹さんによって『シーバス』と命令され、ダイワは『シーバスハンターS』を発売しました。

隣町の釣具屋さんの天井にはどデカイ鱸の魚拓が何枚か貼られていたのですが、それを見ながら最初は「こういうのは釣りに全てを捧げているような名人のおじさんが釣ったものなんだろうなぁ」ぐらいに考えていました。

それらの魚拓には決まって、《使用ルアー・ラパラ、釣り場・仙台火力発電所》と書かれていました。どうやら発電所の排水溝付近がポイントらしかった。

当時、まだソルトウォータールアーフィッシングの専門誌などなく、相変わらず、ルアー釣り入門の類の本をボロボロになるまで読んでいました。その本の鱸のページをみると、夜半に釣れることが多いとか、夏には河川内でも釣れるという事が載っていました。

それを読む限り、砂押川でも釣れないはずはないと思ったのです。

ママチャリで向かうは夕間詰めの砂押川河口。タックルはオリムピック社のトラウトライトというロッドにリョービのカリカリ音のするスピニングリール。ラインは銀鱗5号直結。(ショックリーダーなるものを知るのはここからさらに5、6年先の事でした。)

砂押川河口は、石油コンビナート地帯を分け入って海へ流れ込む川で護岸はコンクリートの斜め護岸になっていた。船の引き波が打ち寄せると、コンクリート護岸の継ぎ目に遠くから順番に、ザッパン、ザッパンと波がぶつかります。

よく、釣り人の逸話で船の引き波が来た時にヒットするという話を聞きますが、私の初ヒットがこの「船の引き波」の時でした。あれはなんなんでしょう?ルアーがヒラを打つからでしょうか?それとも瞬時に鱸の活性が上がるのでしょうか?

初めてのヒットに驚き慌てました。ネットはもちろん持っていません。魚の引きを楽しむ余裕はなく、ただただ巻き上げていました。ググン、ググン!水面から鱸を無理矢理引っ張り上げた瞬間⁉︎ ルアーが鱸の口から外れてしまいました‼︎

「あぁっ」鱸はスロープ護岸の途中の継ぎ目のへこみ部分の20センチ程の平らな所にうまく乗っかっています。かなり危険を冒しましたが、一瞬の判断でスロープを下りて鱸をガバッと掴みました。ちょっと遅れたら、鱸は暴れて直ぐに海に帰っていったでしょう。

初めてのシーバスは55センチぐらいだったと記憶しています。鱸じゃなくてフッコかな。このシーバスはその夜、刺身ととして、父の晩酌のつまみとなったのでした。

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思い出の砂押川河口を正月に訪ねてみましたが、東日本大震災の津波でここも大きな被害を受けたようで、護岸の大改修工事が行われていて、入っては行けませんでした。もしかしたらもう二度と入って行けない場所になってしまうかもしれません。

津波対策は必要なのでしょうが、遊歩道など作って貰いたいものです。工事状況を遠くから見ていると「立ち禁」になりそうな…。

初めて鱸さんに出会った日。あれから約30年が過ぎています。

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