近くの釣り場に通って、日々の気象の変化、気温や空の色、水の色などのわずかな変化を、毎日のように同じ釣り場で、肌で感じていると、釣れた時の条件を、体が知らず知らずに記憶されていいます。
1980年代、初めてのシーバスをゲットしてから、しばらくの間、私の砂押川へのママチャリ釣行が続きました。
シーバスフィッシングがいまほど広まっていなかった事もあり、いつ行っても釣り場は貸し切り状態で、たまに同級生に会うくらいのものでした。
現在ではいろんなノウハウや生態の研究が進んで、データ情報も沢山あり、タイドグラフを見て、潮の動く時間を選んでから釣りに行ったりできますが(その頃も新聞を読めば出来ましたね。汗)当時からおバカだった私はそんなこと考えませんでした。
行ける時は出来るだけ水辺に立つ。
釣れないような条件の日にも近くの釣り場に通ってみる。干潮で川の底が見えている時にもキャスト出来る場所を探す。これです。
釣りに対して若い情熱を持っている人は、頭でっかちにならずに釣り場に通う、これをして欲しいと思います。
皆さん賢いから無理かな。
ひとつの釣り場に通い続けると、自分の体が魚探になっていく
条件にこだわらずに釣り場に通っていると、釣れた時の釣り場のシチュエーション、釣れなかった時のそれ、空気感が、無意識のうちに体全体で記憶されていきます。
それは何年後にふとした時に気付くものです。初めて訪れた釣り場に立ったとき、デジャビュ現象を体験したことありませんか。
「釣れそうな匂いがする」とか、この風の吹き方と水の波立ち方、空気感があの時と似ている!」とか。そしてその体全体での記憶の蓄積を魚探代わりにするのです。
結果が出せた時の気分は「だろ!」「やっぱりな!」最高です。
そしてまたひとつ記憶が蓄積されて臭覚が研ぎ澄まされていきます。
細かい知識やテクニックはずっと後にとっておきましょう
「釣り」は人間の、動物としての眠っている狩猟本能を呼びさまさせてくれます。
だから最初から知恵をつけ過ぎないで釣り場に通って欲しいなと思います。「間違って釣れちゃった」その後からが楽しいのです。
同僚や友達を釣りに引き込んだことのある人なら分かりますよね。偶然大物釣っちゃった初心者の末路を。あー、あなたは罪なおひとだ。
電話がなる。「先輩、釣りに行きましょうよ。無理? ひとり行ってきます。」そしてその後、写メを送ってくる後輩www ウザいですか?それとも嬉しいですか?なに、悔しいですって。
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